勇敢なアメリカ女性とトラブル君

いまから104年前、1914.6.24(大正3年)アメリカの女性
デラ・クルーは飼い犬の“トラブル”を連れてハーレーダビッドソンの
サイドカーで、テキサスからニューヨーク迄5.378マイル(約8.608Km)の
旅を半年間かけて達成した。女性がまだバイクでの1人で全米大陸の横断は
“冒険”だと思われていた時代である。
良く観てもらいたいのは、この船の方に乗っている“トラブル君”である。
初期のアメリカンピットブルテリアの若犬では、と思うのは筆者だけか。
その頃のこの犬種は、小さいサイズ(今と比べて)だったと思う。

この旅の途中では、カンザス州ドッジシティでのレースやセントルイスの
アメリカンモーターサイクリスト連盟の大会にも参加した。
シカゴでは、ハーレーのディーラー第1号店を訪問。ミルウォーキーの
ハーレー本社にも立ち寄った。ニューヨークに到着した頃にはすでに12月になっていたが、その寒さにも関わらず彼女と“トラブル”はいたって健康にこの長旅を終える事が出来た。『スバラシイ旅だったわ。ワタシはすこぶる元気。そして前よりも、もっとライディングが好きになったの。』と語った。
アメリカの女性の冒険と勇気とその行動力にカンパイ!
そして相棒の“トラブル君”ごくろうさま。君にカンパイ!

2011年H.O.G.ハーレーオーナーズグループより転載


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追悼 山本“KID”徳郁

若くして逝った君を偲びたいと思う。初対面は2000年2月、
そして12月8日には“ソニー”を修斗大宮ジムの前で手渡しした。
あの頃、君は、ジムのボスであるハワイからの日系四世エンセンイノウエさんの
内弟子としてエンセンさんの愛犬ピットブル“修斗くん”の散歩係だった。

まだプロのライセンスを獲る前だったように思う。
自分の犬がほしいと云うのでジムやボスに迷惑を掛けない事を条件に
約束の上でソニーを進呈した。

その後、“ピュアブレッドTOKYO”のジム開設時にソニー共々、
天現寺に移動する。この頃よりリングネームも“KID”になり
外国の一流選手にも勝ちはじめて一躍注目株となった。

米国の作業着メーカーである“ディッキーズ”その日本代理店の広告塔として
君は、ソニーと共に大ポスターになった。渋谷のスペイン坂に何枚もの
ポスターが提示され話題となった。一般には、手に入らないポスターを
メーカーと直接交渉して6枚譲ってもらった。
君もソニーも凛凛しく男前に思う。
君は自分にも一枚欲しいと云うので
進呈したくらい入手はむずかしかった。

その後の君の活躍は、総合格闘技の歴史そのものだった。
公称65kgであったが実際は62-63kgぐらいだったように感じた。
それが70kg級を相手にしてもワンパンチで倒し、
スーパースターへの階級を駆け登って行った。

2007年に“クレージ・ビー”として大田区で再スタートする。
しばらく会えない間に外国に行ってタトゥー彫ってきたので見て下さい。
まだ雑誌とかにも公表してません。
ヒフを破って、バラの棘のある枝が伸びる絵で
赤い血もリアルであり良い作品と思った。
これくらいでイレズミは止めておけば良かったのにと今も思う。

自分のジムで自信にあふれて、余裕のある“KID”だった。

2004年5月生まれの“ニンヂャ”がオーナーである新妻マリアさんの元へ。
時は流れて犬の訓練学校へ入学する。
そして晴れて卒業写真。

その後、都会のマンション暮らしから広い場所で預かって貰う事になり遠距離を車で移動する、途中のパーキングでのツーショットは
彼とニンヂャの最後の一枚となった。
窓ごしに何となく心配そうな淋しそうなニンヂャの顔。
カメラをかまえる筆者の肩越しにKIDの顔が見えるので
それを気にしている。ドライバーの山本篤選手もいささか緊張気味。

ニンヂャにとって“帰らざる道”再びこの道を東京へ戻る事はかなわなかった。

好漢KIDよ

“See you next life”

来世で会おう

犬にも来世があるならば、彼等二頭は待っている事だろう。
再会を祈る。
どうか安らかに


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